みなさん、突然ですが未来に不安や虚無感を抱いていませんか?私はPMSがひどい時は虚無虚無の虚無です。
1945年、ようやく終戦を迎えたころのパリの若者たちも未来へのやるせない不安を抱いていました。
今回は、同じ年に「実存主義とはヒューマニズか」という講演から一躍有名になったジャン=ポール・サルトルの「実存主義とは何か」から、不安な未来にどう立ち向かうかのヒントを紹介したいと思います。
著者のジャン=ポール・サルトルって誰?
ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)は、フランスの哲学者、小説家です。
第二次世界大戦後、サルトルの実存主義は世界中を席巻することになり、特にフランスにおいては絶大な影響力を持ちました。また、「作家は自分を生きた制度にすることを拒絶しなければならない」として自分の意志でノーベル賞受賞を拒否した最初の人物でもあります。彼は家や財産を所有せず、お金に無頓着。ものや制度にとらわれない生き方を送りました。
「実存主義とは何か」は彼の思想である実存主義をより強く表している本です。
生きることの不安と、自由
サルトルは
「人間は自由という刑に処せられている」
と言いました。
自由は一見いいことのように思えますが同時に不安も出てきます。
未来が不安でしょうがない時、それは同時にとても自由であるということです。
なぜ私たちは自由なのか?
例えば、ペーパーナイフを作ろうとする場合、紙を着るものという目的(本質)が先に決まっていて、ペーパーナイフは作られます。
しかし、人間の場合はあらかじめ本質は決まってなく、本質を自ら選び取る存在です。つまり実存(今ここにある存在)が本質に先行しているのです。
→本質が実存に先行している
人間:何者でもない実存があって本質をあとから選択する
→実存が本質に先行している
サルトルの人間観はこうです。
それは、人間がまず先に実存し、世界内で出会われ世界内で不意に姿を現し、その後で定義されるものということを意味するのである。人間は後になって初めて人間になるのであり、人間は自らが作った所のものになるのである。
この世に、人間の本性は存在しない。
その本性を考える神が存在しないからである。
人間は自らの本質を選びとった上で、未来を作り上げなければならない。
つまり、こういうことです。
我々の存在は偶然である。
↓
我々の存在は無意味で不条理なもの。
↓
だから人間は自由だ。
↓
だから不安だ。不安は自由の証明。
私たちは何かのために生まれたのではないので、自由だと説いています。
自由な恋愛
サルトルはシモーヌ・ド・ボーヴォワールという女性と自由な男女関係にありました。ボーヴォワールはフェミニストの先駆者として有名な女性でした。
サルトルは「僕たちの恋は必然的なものだ。しかし、偶然の恋もお互い知る必要がある。」と言い、彼らは制度にとらわれることなく、籍を入れないで、お互い別の人とも恋愛を楽しみながら関係を続けていました。
ボーヴォワールはバイセクシャルでもあったといいます。
二人の関係は新しい時代の男女関係として世界中に大きな影響を与えたそうです。
サルトルとボーヴォワールはポリアモリーという、今ではゆっくりと認知されつつある新しい恋愛の価値観を持っていました。
他者との関係は地獄
その時私は世界に対して関係しています。
しかし、私に対して、誰かが眼差しを向けていることに気づいた時、その瞬間私は見られているものに変化する。
私は世界に関係する存在から、他人に関係される存在に変わるのです。
そこにいるのは他人の眼差しに決められた私。つまり、私の世界を他人に盗まれた私です。
実存主義における他人との関係はこのような危機を含んだ、見るか見られるかの眼差しの戦いなのです。
他人の眼差しを受け入れる
アンガジュマンが行われるや否や、私は私の自由と同時に他人の自由を望まないでいられなくなる。
アンガジュマン=社会参加(自分か置かれている状況とどう向き合い、それを引き受けるか)
アンガジュマンは、フランス語で下記のような意味があります。
動詞:engager(アンガジェ)
①拘束する、②巻き込む、③参加させる
名詞:engagement(アンガジュマン)
①自分を拘束すること、②自分を巻き込むこと、③自分を参加させること
戦後有名になったサルトルは、世界中の人がその言動に注目し、多くの人から意見を求められるようになります。そんな中で、「言論に関わる人間は沈黙に意味がある」とし、責任を持って意思表明を引き受けていました。
人間の運命は人間の手中にある
投企とは、英語でproject。目標に向かって自分の身を投げるという意味です。
どのように生きるかの態度表明なので、婚約も投企(engagement)です。
大きな自由と不安を抱えながら生きていく、存在意味のない私たち人間は、主体的に意思、態度表明して生きていかなければなりません。
晩年のサルトルは自由を妨げるものに対して、戦えと説き続けました。
その思想は、フランスのデモやストライキの多さから、自分の態度をはっきりと主張し、自らを投企して運命をつかみ取っていくという意思が人々に根付いているように思います。