1945年の第二次大戦終結以降、第三次世界大戦に相当する戦争はまだ起きていません。
しかし、2020年、アメリカによるイラン革命防衛隊司令官の殺害により緊張が高まる中東情勢。第3次世界大戦の勃発も囁かれ始めました。
今回は2度と戦争を起こさないための具体的な方法を提唱する政治哲学書、カントの「永遠平和のために」を紹介します。
この本には国家間の永遠平和実現の可能性を示す具体的な手段が主に書かれていますが、私たち個人にも当てはまる、生活の知恵として受け取れる部分も数多くあります。
作者について
作者はドイツの哲学者、イマヌエル・カント(1724 - 1804年)。
純粋理性批判などの批判哲学が有名で、道徳を貫き一切の嘘を認めないという厳格な考え方がドイツ哲学界で話題となり哲学者として脚光を浴びました。
時代背景
1789年フランス革命が勃発、国民国家が誕生しました。
多くの血が流れることがないよう、平和のための新たな仕組みづくりを目指します。
1792年、フランスはバーゼル平和条約を締結しますが、これを単なる停戦条約でしかありませんでした。
「永遠平和」を実現するために、カントは、根本にさかのぼって「道徳と政治」の関係を深く考察します。
道徳ってなに?
そもそも「道徳」とは社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。
と、辞書には書かれていますが、カントは「道徳」の根本が「無条件で従うべき命令を示した諸法則」であることを解明し、既存の「自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと」というイメージを覆します。
つまり「道徳」は良心の問題ではなく、「あらゆる人の利益や都合を保証するために活用される普遍的なルール」だということです。この前提に立てば、たとえ自分の欲望を最優先する悪魔が国家の成員であったとしても、ルールに従わざるを得なくなるメカニズムを構築できます。
人間が戦争を避けるためには、政治と道徳の在り方や人間の在り方を見直す必要があるのです。
永遠平和のための6つの禁止項目
カントはまず6つの禁止項目を設けました。
- 戦争原因の排除
将来の戦争の原因を含む平和条約はそもそも平和条約とみなしてはならない。
その理由はこの条約はたんなる停戦条約にすぎず、敵対的な状態を延長しただけであり平和をもたらすものではないからである。平和とは全ての敵意をなくすこと。将来戦争になりそうな原因を全て無くすことである。 - 国家を物件にすることの禁止
独立して存続している国はその大小を問わず、継承、交換、売却、贈与などの方法で他の国家の所有とされてはならない。国をものとして扱ってはならない。 - 常備軍(絶対王権の時の傭兵のこと)の廃止
常備軍はいずれ全廃すべきである。常備軍が存在するということは、いつでも戦争を始めることができるように軍備を整えておくことであり、他の国をたえず戦争の脅威にさらしておく行為である。
これは他の国を絶えず戦争の脅威にさらしておく行為で、国民が自発的に武器を持って定期的に訓練を行うことは、常備軍とは全く異なること。 - 軍事国債の廃止
国家は対外的な戦争を理由に国債を発行してはならない。危険な財力であり戦争遂行の財源となるのである。 - 内政干渉の禁止
いかなる国も他国の体制や統治に暴力をもって干渉してはならない。 - 卑劣な敵対行為の禁止
足を踏み入れたというだけの理由で外国人を敵として扱わわれない権利を指す。ただし、外国人が要求できるのは客人の権利ではない。いかなる国家も他の国との戦争において、将来の和平において相互の信頼を不可能にするような敵対行為をしてはならない。
人間は邪悪な存在
カントは人間は放っておいたら戦争する、邪悪な存在であるといいました。
永遠平和は自然状態ではなく、自然状態では、人間は自分の利益だけを考え争いが起こります。自然状態とはむしろ戦争状態なのです。
つねに敵対行為が発生してるわけではないとしても敵対行為の脅威がつねに存在する状態にあるので、平和状態は人間が作り出していかなければならないとしました。
どうすれば戦争が起きなくなるか
平和状態は新たに創出すべきものです。敵対行為が存在していないという事実は、敵対行為がなされないという保証ではありません。
人は市民的、法的な状態に入ることで相手に必要な保証を与えることができるのです。
そこでカントは国際的な平和連合を作ることを考えました。国家同士が連合することで永遠平和は訪れるとしたのです。
国家としてまとまっている民族も自然状態においては(外的な法にしたがっていない状態では)互いに隣り合って存在するだけでも、ほかの民族に危害を加えようとします。
だからどの民族も自らの安全のために、個人が国家において市民的な体制を構築したのと同じように、自らの権利が守られることをほかの民族に要求することができるし、要求すべきなのです。
国境を無くして完全なボーダーレスの世界国家にしたらいいんじゃない?という考えがありますが、カントによるとそれは違います。
世界国家になったら、英語ができる人が世界政府に参加するようになり、欧米の支配的価値観に近い人が有利になるため、日本語のようなマイノリティは消滅するでしょう。
それぞれの国家は平等、各政府があり、自分たちのことは自分たちで決め、マイノリティを保存するためにも、世界国家では永遠平和は訪れないとしました。
積極的な理念、世界国家
正しい目的を達成するためには何をしても許されるはずだという考えに陥りがちです。
ヒーロー映画のように目的が手段を正当化し、内戦が起こるでしょう。世界国家から独立したい人も出てくるはず。
消極的な理念、平和連合
どんな小さな国であっても主権国家と認められれば1議席を持つことができ、強者の意見に飲み込まれなくて済みます。
国と国の間で暴力が起きないことが目的なので、紛争の種をできるだけ減らすために別の方法を探そうと考えるのが消極的理念です。
カントの哲学をベースに
1920年国際連盟が設立。
加盟国は最大60カ国。提案者であるアメリカが加盟しておらず、ドイツ、イタリア、日本が脱退。そして脱退した国によって第二次世界大戦が始まりました。
その反省を踏まえて1945年国際連合が設立。加盟国は193カ国で、何かを決める際に加盟国全ての賛成を必要としたために、なかなか物事が決まらずにいましたが、常任理事国を設置することでスピーディーに決めることができるようになりました。しかし、常任理事国の意向に他国が従わなければならない事態が発生しています。
もう一つの改善点として国連軍の設置が挙げられます。これは、国家間の問題を武力で解決しないよう抑制する為に国連が軍隊を派遣するものですが、カントの理想はあらゆるトラブルを武力を使わずに法的に解決する仕組みを作ることなので、永遠平和のために提唱された項目はまだ達成されていません。
平和のために戦争は必要か
私たち邪悪な人間は戦争をする傾向があるから、平和への意識も高まります。
残念ながら道徳や理性の導きでは、平和にはなりません。人間の本性による裏付けがなければ綺麗事を言っても平和は実現しないのです。
どんな人間も脅威を及ぼす外敵が現れると団結せざるを得ず、戦争によって人間が法的な状態に入らざるを得なくなりました。邪悪な人間が起こした状態が平和を作り出すのです。
国家の自己利益
国家は自己利益のために他国と貿易をし、自国が他国よりも多くの利益を得ようとします。
そうすると他国と仲良くしていたほうがいいとどの国も考えるはずです。
このように経済的交流が戦争を抑止し、貿易で他国と仲良くしといたほうが得だから、戦争しないようにしようとなります。
20世紀の半ばには、宗主国が植民地を維持するコストの方が高くついてしまい、ほとんどの植民地は独立しました。
短期的な利益は暴力で、長期的な利益は、非暴力(法・商業活動)。つまり、戦争はどちらの国にも利益をもたらさないと言えます。経済的な交流が戦争を抑止するというのがカントの考えです。
個人で言うと、例えば選挙に行くのは長期的な利益で、行かないで寝てるのは短期的な利益です。
感情と理性の切り離し
民主主義国家では行政権と立法権が分離されていることが重要です。
やりたいことを自由にできないようにするにはルールを作る人とルールのもとで行動する人を分ける必要があります。これがカントの言う立法権と行政権の分離ということです。
日本は昭和13年に国家総動員法が制定されたことで行政権と立法権が一体化し、一気に戦争へと突き進みました。
感情のままに行動できるシステムにしてはなりません。
道徳と誠実について
公法の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある。
これが実現されるのがたとえ無限に遠い将来のことであり、その実現に向けてたえず進んでいくだけとしてもである。
だから永遠平和は(中略)
たんなる空虚な理念でもなく実現すべき課題である。
公法の状態とは、全ての国が無条件に納得できる道徳をベースにした共通の法律に従っている状態をいいます。
道徳:誰がどんな場合でも無条件に従うべきルール
法律:誰にでも例外なく公平なルール
道徳(無条件に従うべきルール)の判断基準は「誰もが行ってもいいと思うこと」です。
例えば、暴力を振るわれた被害者をかくまっているとき、追ってきた加害者に嘘をついて「被害者はここにはいない」と言うことは、誰がやっても良いと思うならば道徳的と考えます。
悪魔による国作り
「邪悪な悪魔でも知性さえ備えていれば法律を作り国家を作ることができる」というのがカントの主張です。
欲深い悪魔の前にケーキ。無法状態だと、我先にとケーキの取り合いになってしまいます。そうならないために、形式を定めて切っていきましょう。
ポイントは、どの悪魔がケーキを切り分けても自分の分だけ大きくしないようにすること。
そのためのルールは、ケーキを切る悪魔が最後にケーキを取ること。(均等に切ることが一番自分にとって得になる)
ルールのもとで、ケーキを切る悪魔は自分にとって一番特になるようにケーキを均等に切り分けるようになります。
しかし、切る過程がカーテンで隠されたとしたらどうなるでしょう?
自分に半分以上のケーキを確保したうえで、残りのケーキを平等に分配するでしょう。これがバレた時、他の悪魔たちの不満が噴出して争いが発生します。
公開性(全ての人のまなざしに耐えうる)なしにはいかなる正義もありえないし、いかなる法もなくなるからです。
性善説のように人間はもともと善人だからいつか平和は来るということはなく、悪魔であっても知性があって法を作れれば平和な国家を作ることができます。
知性で悪を制御できるルールを作り、それがみんなの目に晒されていることが公平性を守ることにつながります。この過程には終わりはありません。
まとめ
「悪を倒し、みんなを守る!」や「大きなケーキ食べたい!」なんて感情に振り回されて目先の利益ばかりを追っていると、戦争状態は免れません。長期的な利益と、自分がしようとしていることは、誰が行っても良いと思えることかどうかを考えながら、法のもとで争わずに生きていきたいですね。個人も国家も。
「永遠平和」なんて壮大なテーマすぎて、自分にはあまり関係ない政治的な話だと思っていましたが、ひとつひとつ身近なところから考えていくと、とても興味深かったです。
いつか「世界平和について」というテーマで議論するときのために読んでみてください。