「愛してる」って何?本当の愛に必要な3つの条件【チェックリスト付き】

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自由に恋愛を楽しむ愛の国フランスに住んでいると、至る所でキスや特別な愛称、愛の言葉で愛情表現している光景を見ます。

「愛してる」って言われたら嬉しいですよね。

でも、付き合いたてのカップルと結婚30年の夫婦の言う「愛してる」は同じ「愛してる」でしょうか?

パートナーが〇〇してくれたから愛されている?「愛してる」って言ってくれないから愛されてない?

そもそも「愛してる」ってなんだろう?具体的にはどういうこと?と疑問に思い、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本を読んで「愛」について調べたのでまとめます。

愛の前提条件

この本は1956年アメリカで精神分析家のエーリッヒ・フロムによって、原題「The art of loving」として出版されベストセラーになりました。

この本はまずはじめに、「愛というものは、その人の成熟の度合いにかかわりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではない。自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう全力をあげて努力しない限り、人を愛そうとしても必ず失敗する。」という大前提があります。

よく恋愛本には以下のようなことが書いてあります。私も勘違いしていたことがありました。

好きになってくれる人がいない?

私たちは雑誌などの情報から「愛されメイク」や「愛されキャラになるために」などの小手先のテクニックを使って、どうすれば愛されるかが重要であると思いがちです。

大抵の人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えています。

愛して欲しいと要求ばかりするのは違います。

理想の相手がいない?

理想の相手の条件を並べて目の前にいる人をジャッジし、この人は自分が愛するに値するかどうかを見定めることにエネルギーを注ぐのは無駄です。

これは愛の問題とは、相手の問題であって二人の問題ではないという思い込みです。

愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることは難しいと考えるのは間違いです。

付き合ってから長続きしない?

一時的な感情を「永続的な愛」と混同しています。付き合いたての互いに夢中になった状態、頭に血がのぼった状態を愛の強さの証拠だと思い込むことが間違いです。

生まれたての赤ちゃんの時から、母親に無条件に愛を与えられ「愛されること」は経験済みの私たち。しかし、「愛すること」については、努力が必要なんです。

お互いがもしくはどちらかが「愛されること」のみ考えていては長続きするはずがありません。

残念ながら愛は生まれつき持っている能力ではありません。
幼稚な愛は「愛されているから愛する」と言う原則に従う。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則に従う。未成熟の愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」といい、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」という。

本当の愛とは?

以下の3つの愛を持っている人は、本当の意味で人を愛することができます。

成熟した愛

本当の愛とは、成熟した愛。

成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合です。

愛は、人間のなかにある能動的な力です。人を他の人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人を結びつける力です。愛によって人は孤独感、孤立感を克服数することができますが、依然として自分自身のままであり自分の全体性を失いません。

成熟した愛においては二人が一つにありしかも二人であり続けるというパラドックスが起きます

お互いによりかかり、片方が倒れるとふたりとも倒れてしまう共依存関係ではなく、一人ずつでも立っていられ、同時に結合もする。それが成熟した愛。
成熟した愛のある二人に問題が起きた時の解決方法は、自分勝手でも自己犠牲でもなく、お互いが譲り合い、話しあうこと。

生命を与えること(能動的な愛)

愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではないと言うことができます。

何を与えるかというと、それは生命です。

自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与えます。(共有する、与えたら何かがなくなるものではない)与えることによって必ず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分に跳ね返ってきます。

本当の意味で与えれば必ずいつか何かを受け取ることになります。与えるという行為の中で何かが生まれ、与えたものも与えられたものも、互いのために生まれた生命に感謝するようになります。

ちょうどいいナルシシズム(自己愛)

人は誰でも多かれ少なかれナルシシズム(自己愛)を持っています。

もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛しています。自分自身も愛することのできる人は向上心があり、二人の関係もより良いものになります。

もし、他人しか愛することできないとしたら、その人はまったく愛することができません。

ナルシシズム傾向の強い人は自分のうちに存在するものだけを源逸として経験します。外界の現象はそれ自体で意味を持たず、自分にとって有益か危険かという観点からのみ経験されます。
このナルシシズムは暴走すると自己愛から利己主義になり、ストーカーになることもあります。

快・不快で物事を決めるのは幼児的。快・不快は続かない。
ちょうどいいナルシシズムには向上心や客観的に見て大多数の人に好かれようとする気持ちがある。

愛の商品化

私たちが暮らす資本主義社会の中で愛は商品化され、成立しにくくなっています。

資本主義社会が求める人間像は

・大人数で円滑に協力しあう人間

・飽きることなく消費したがる人間

・好みが標準化されていて他からの影響を受けやすくその行動を予測しやすい人間

・自分は自由で独立していると信じ、いかなる陰謀、主義、良心にも服従せず、それでいて命令には進んで従い、期待に沿うように行動し、摩擦を起こすことなく社会という機械に自分を進んではめ込むような人間。

今日の人間の幸福は「楽しい」ということです。「楽しい」ということはなんでも「手に入れ」消費すること。愛をめぐる状況も現代人のそうした社会的性格に呼応しています。しかし残念ながらロボットは愛することができません。ロボットは商品化された人格を交換し、公平な売買のみを望むのです。

一人でいて平気だというのは、資本主義社会には都合がいいのです。人々が別々にいれば、消費活動が進み経済が成長しますから。

資本主義社会では、価値があるものは売買できる。価値があるとされる偽りの愛も売買できるものして扱われる。

 

資本主義社会での成熟した愛

資本主義社会の中で暮らしてきた我々には難しいですが、成熟した愛は絶え間ない挑戦です。それは安らぎの場ではなく活動であり、成長であり共同作業です。

何かを与えたからといって同等のものが返ってくる保証はありません。資本主義は通用しません。

二人の人間がそれぞれの存在の本質において自分自身を経験し、自分自身から逃避するのではなく自分自身と一体化することによって相手と一体化するということ。
愛があることを証明するものはただひとつ、二人の結びつきの深さ、それぞれの生命力と強さです。

これが実ったところにのみ成熟した愛が認められます。

愛の技術を習得するためのチェックリスト

自分の愛に不安を覚えた時にチェックしてみてください。

信念・・・自分自身の愛に対する信念。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人の中に愛を産むことができると「信じる」こと。

勇気・・・愛するということは何の保証もないのに、こちらが愛すれば相手の心に愛が生まれるだろうという希望に自分を委ねること。我慢。

配慮・・・相手の気持ちを想像し行動すること。

尊重・・・自分自身と同じように相手も大切な存在だと認めること。

理解・・・相手だけでなく自分自身も知ること。

まとめ

今回は「愛してる」の意味について真剣に考えてみました。

「愛してる」には「成熟した愛」という努力しなければ手に入らない愛があったんですね。

この本を読んで私は「愛すること」とは「まず自分を愛し、相手のことをよく考えて見返りを期待せずに与えること」だと思いました。ざっくりとまとめると。

そう考えると別に恋愛関係になくても誰でも愛することはできそうです。

相手が資本主義社会に適したロボットで損得のみで物事を考える人の場合、いくらあなたに成熟した愛があって忍耐強く愛しても届かない可能性があります。

相手と同じように自分も大事な存在ですから、自分が傷ついてかわいそうになったら相手から離れるのも大切です。見返りを求めないのはもちろんですが、自己愛も必要です。

時々チェックリストを見直して、本当に私は愛することができているか自分を見つめ直す機会を作ろうと思います。